☆ゲーム時間軸(ウズールッシャ戦・遺跡探索後)
☆チラっと遺跡探索ネタあり・ゲーム未プレイ注意。
ある朝、朝食を食べて一服していたハクの元に、一通の文が届いた。
それは、ミカヅチの従者であるミルージュが携えてきたもので、『うちの庭を愛でながら酒でもどうだ?』といったような内容だった。
何故、あの男が己と酒でも酌み交わそうと思ったのか。しかも、庭を愛でる?
首を捻りながら、目の前のミルージュを見た。
「なぁ、これって、自分と二人きりということか?」
その問いに、意外な反応が返ってきた。
「いえ。右近衛大将オシュトル様もご一緒です」
「オシュトル、殿が?」
思いもかけなかった名前に、ハクの心臓が跳ねた。オシュトルに会える。それだけで、心は決まってしまった。なんとも現金なものだと、ハク自身苦笑する。
「そ、そうか。両近衛大将と酒を飲めるとあっては、行かない訳にはいくまい」
「それでは、夕刻にお迎えにあがります」
そう言って、ミルージュは帰っていった。
日が傾き始める前になんとか今日の仕事を終えたハクは、迎えが来る前に風呂で汗を流し、着替えを済ませる。
夕刻、ミルージュの言葉どおり迎えが来た。
ハクは、クオンに声を掛け外出する事を伝えると、迎えが用意した駕籠に乗ってミカヅチの屋敷へと向かった。
(ミカヅチは、何故自分なんかを呼んだのだろう)
ずっと考えていたのだが、答えは見つからなかった。
オシュトルとミカヅチは、最初仲が悪いのかと思っていたのだが、実際は「ウッチャン、サッチャン」と呼ぶ位に知己の間柄であるという事が先日発覚したところだった。
あの強面からサコンへの変貌は、ウコンの正体を知った時以上の衝撃を受けた。
(ウコン以上に別人だろ、アレ)
そこは、深く突っ込んではいけないところなのだろうか。
そんな事をあれこれ考えているうちに、ガクンと駕籠が揺れて止まった。駕籠の両側面を覆っているゴザを上げると、オシュトルの屋敷に勝るとも劣らない武家屋敷が目の前に現れた。
外側のつくりは、オシュトルの屋敷とそれほど変わらない。門番に頭を下げつつ、ハクはミカヅチ邸の門をくぐった。ミカヅチの屋敷は兵を調練する場所を広くとっており、庭はオシュトルの屋敷と変わらないくらい殺伐としていた。
(庭を愛でるって、もっとこう、花とか池とかあるもんじゃないのか?)
そう思いつつ首を傾げていると、玄関でミルージュがハクを出迎えた。
「お待ちしておりました。こちらへ」
そう言って通されたのは、以前茶と菓子を振舞われた部屋とは別の部屋だった。広い庭とは反対方向にある、それほど広くない小部屋で、部屋の入り口は小さなくぐり戸になっている。
「そういえば、オシュトル……殿はもう来ているのか?」
「いえ、まだお越しになられてはいません」
(なんてこった)
あの強面の男と、何を話せばいいというのだ。
どうしようか迷ったところで、部屋の前まで案内されては出直してくるとは言えない。
「ミカヅチ様。ハク殿がお見えになりました」
「通せ」
中から一言、そっけない声が聞こえてきた。ハクは生唾を飲み込むと、ミルージュが開けてくれた戸をくぐって中へ入った。
「お、お招きにあずかり……」
「堅苦しい事は好かぬ。こっちへ来い」
ハクに背を向けたまま、ミカヅチはそう言った。小部屋の奥には大きな障子がの引き戸があり、今は開け放たれている。その先の濡れ縁にミカヅチは腰を下ろしていた。
「ほぅ、これは……」
ミカヅチの側まで歩み寄ったハクは、思わず感嘆の声を上げた。
調練している庭とは違い、こちらは箱庭とでもいうのだろうか、狭い庭の中央に大きな石で囲まれた溜池があり、周りに背の低い植木や花壇が、奥には背の高い樹木が植わっていた。
そんな花木が、今は夕暮れの紅い色に染められている。
「どうだ、気に入ったか?」
「ああ……しかし、あんたの屋敷でこんなもんが見られるとは思っても見なかった」
「俺はこう見えても庭弄りが好きでな」
ニヤリと笑う顔は、どう見ても庭好きには見えなかった。ネコネがここにいたら、尻尾を逆立てて威嚇するであろうくらいに。
「珍しく、オシュトルに庭の作り方を訊かれた故、こうして呼んでやったというわけだ」
「え?」
オシュトルが、庭を?
いまいち状況が飲み込めないまま、ハクは呆然と立ち尽くしていた。すると、背後のくぐり戸の向こうから、ミルージュがオシュトルの来訪を告げた。
背を屈めて部屋に入ってきたオシュトルは、真っ先に所在無く佇んでいるハクを見て微笑んだ。それだけで、何故かハクは言い表せない安心感に包まれた。
「遅れてすまぬ」
「何、ただ酒を飲むだけの集まりだ。貴様が来なくても始めようと思っていたところだ」
「そうか。貴公は良いが、ハク殿には侘びを言っておかなくては」
「や、自分もさっき来た所だし」
目の前で立ち止まったオシュトルに、ハクはぶんぶんと顔を振った。さすがにミカヅチの前では抱擁されたりはしないとは思うのだが、それでも近くに彼が居るというのは、別の意味で緊張する。
「ミカヅチ様。酒肴の用意が整いました」
「入れ」
くぐり戸を開けて入ってきたミルージュは、大量の酒と酒菜を運び入れた。小さな部屋には不釣合いな物量。
「おいおい、豪勢だな」
「余りこの屋敷に来たがる輩もおらんので、賜りの品が溜まっているのだ。この際付き合ってもらうぞ」
そう思うなら、もう少し部下達に愛想良くすれば良いのではないだろうか。
心の中でそう呟きつつ、杯が乗せられた盆を濡れ縁に運ぶ。夕暮れから闇へと空が変わり始め、室内には暗い影が落ちていた。ミルージュが、灯りを点した手燭台を側に置いてくれた。
頭を下げて静かに出て行った彼を見送ってハクが振り返ると、場を整えたオシュトルとミカヅチがお互いに酒を注ぎ合っていた。
「あっ、ずりーぞお前ら」
「杯に注いだだけだ。貴様も早く来い」
ハクは慌てて濡れ縁に駆け寄った。そこでふと気づく。
(自分はどこに座ればいいんだ……)
既にオシュトルとミカヅチは、杯と酒を間に挟んで座っている。あとは、その左右しか座る空間が残っていない。
(主催のミカヅチを置いて、オシュトルの横に座るのもなんか違うような気がする……かと言って、ミカヅチの横に座るのはなぁ……)
チラリとミカヅチを見れば、獲物が来るのを今かと待ち構えているような笑みを浮かべている。
(ひぇっ)
「何をしている、貴様の座る場所は此処だ」
そんなハクの心情を知ってか、ミカヅチは杯の盆が置いてあるすぐ後ろを指差した。まぁ、両近衛隊長の横に並ぶよりは妥当な場所だった。要するに、接待係である。
「へいへい」
ハクは二人が座る場所よりも一歩後ろに腰を下ろすと、杯を取った。すかさず、オシュトルが徳利をハクへ向ける。
「あ、すまん」
「気にするな」
たっぷりと杯に注がれた酒を、零さぬように慌てて支える。
「三人の友情に」
ミカヅチがそう言って、杯を掲げた。オシュトルも同じように杯を掲げたのを見て、ハクも横に倣う。一気に杯を開けると、オシュトルが庭を見て呟いた。
「人は見かけによらぬな。ミカヅチ」
確かに、武人然としているミカヅチとは思えない、細やかな心配りの利いた庭だった。ため池の周りにある植木の花が、水面に映っている。ここに月が映れば、一幅の絵のように見えるだろう。
「この景色を見ながら酒を飲む。確かに、悪くない」
「あれこれと花や樹を植えるだけでは、雑草が生えるも同じ。まずは、一本、見せたい花木を選ぶ事だな」
「なるほどなぁ」
ミカヅチの言葉に、思わず感嘆の声を漏らしてしまった。「個性の強い花や樹ばっかりになったら、何処を見ていいかわからなくなるもんな」
「そういうことだ」
「ハク殿は、某の屋敷の庭にはどんな花が良いと思われるか?」
オシュトルにそう水を向けられた。少し考えて口を開く。
「お前の好きな花にしたらいいんじゃないか?」
そもそも、この地方にどんな花が咲いているのかもよくわかってはいない。それに、オシュトルの庭なのだ。彼の好きな花を植えるのが一番だろう。
「いや」
オシュトルは首を振った。
「其方の好きな花を植えたいのだ」
仮面の奥から真剣な瞳を向けてくるオシュトルに、ハクは戸惑った。ハク以外の人の居る場所では滅多に見せない顔だった。
その時、ミカヅチが喉の奥を鳴らして笑った。彼は、胡坐を掻いてその膝に頬杖をつきながら、オシュトルを見上げる。
「戯れかと思っていたのだが、オシュトル貴様……本当にこやつの事を気に入っているのだな」
「ああ、ハク殿は某には無くてはならぬ男だ」
平然とそう返したオシュトルは、空になったミカヅチの杯に酒を注いでいる。そんな二人のやりとりを、ハクは呆然と見ていた。傍から見れば何気ない会話だろうが、当事者からすれば、随分と際どい会話のような気がした。
(この男は、自分達の事をどれだけ知っているというのか)
ハクとオシュトルが恋仲だというのを知っているのは、オシュトルの言によると、以前隠密として活動していたオウギだけとの事だった。後は、鎖の巫であるウルゥルとサラァナにも、先日知られてしまった(ような気がする)。ミカヅチにも二人の関係がバレたのではないかと、ハクは気が気ではない。
「ハハッ。オシュトル殿は、口が上手でいらっしゃいますなー」
とりあえず、何もなかったふりをしてやり過ごそう。
ハクは、そう言ってカラリと笑うと、「ささっ、どうぞ」とオシュトルの杯を酒で満たした。
「それで――」
オシュトルは、その酒に口を付けながら、再び口を開く。「ハク殿の好きな花は何だろうか」
「ぐ……」
話が逸れたと思ったら、また戻ってきた。
花の事は全くわからないハクは、ミカヅチに助けを求める。
「夜の月に映える花とかあるのか?」
「ふむ、それならば、白や黄色などの花を付ける植木がよかろうな」
「じゃ、それがいいと思う」
ハクがそう言うと、ミカヅチは庭に降りて何やらごそごそと土いじりを始めた。庭に植えられている花を一株、慣れた手つきで掘り起こすと、鉢に入れて戻ってきた。
指で輪を作ったくらいの大きさの黄色い花を、背丈の低い樹にいくつも咲かせている。確かにこれだけ咲いていれば、月の明かりだけでも十分に目立つだろう。
「月光を浴びて咲く花、『月光花』と言われているものだ。貴様に呉れてやる」
どうやら株分けしてくれるらしい。オシュトルは差し出された鉢を受け取ると、ようやく雲間から覗いた月の明かりに花をかざしている。
「……良いものだな。ありがたく頂戴するとしよう。忝《かたじけな》い、ミカヅチ殿」
「貴様に礼を言われると、背筋が痒くなるわ」
それでもまんざらでもなさそうに、ミカヅチは酒菜を摘んだ。
***
「それでさー、串焼き屋の親父にその女の子の食った御代まで取られて、自分はすっからかんになった訳よ」
「女の分まで払うのが、男の甲斐性ってモンだろ、貴様はそれをわかっとらん!」
酔いが回ってきたのか、ミカヅチとハクはお互いの肩を叩きながら、世間話に花を咲かせていた。
花見というより、ただの酒宴になりつつある座を横目に、オシュトルは先ほどミカヅチから貰った鉢植えを見つめた。たった一株だけだが、己の庭にこの花が咲いているのを想像すると、頬を緩ませずにはいられない。
以前、ハクに「花や樹を植えてはどうか」と提案されて以来、色々と思案していたのだが、ミカヅチに園芸の趣味があると先日の酒の席で小耳に挟んでから、いつか教授願おうと思っていたのだった。
それが今日実現したのだ。
世間ではどう噂されているかは知らないが、ミカヅチとの関係は良好である。お互いに市井を気に掛け、帝が治めるこのヤマト國を守るために働いているのだ。彼は厳つい容貌のためか、民から恐れの念を抱かれているのは、残念でならない。
そんなミカヅチに、己以外に心を許せる友が出来たのは良い事だ。
ハクと楽しく酒を飲んでいるミカヅチを見て、オシュトルは口の端を上げた。
「なーに、ニヤニヤしてるんだよ、おしゅとる~、飲んでるかぁ?」
「其方は呑みすぎではないか? ハク殿」
ハクの呂律は少し怪しくなっている。
「自分はまだまだ素面ですよぉ。ホラ呑め呑め」
そう言ってオシュトルの杯に徳利を傾けるが、中は空のようであった。「ナンダヨォ」と口を尖らせながら、部屋に残っている酒を探しに行く。
「んーと、コレは呑んでいいのか? みかづちぃ」
「勝手にすればいい。俺は厠に行ってくる」
のそりと立ち上がるミカヅチ。そこに、ふらふらと千鳥足で戻ってきたハクがぶつかった。彼は、壁にぶつかったかのように弾き飛ばされそうになった。
「ハク!」
「おっと」
すかさず手を出したのは、ミカヅチだった。脇の下からしっかりと背後に手を回して、ハクが倒れぬように支えている。その距離の近さに、オシュトルの心がざわついた。
「貴様、随分と軽いな。もっと喰わんか」
「いや、ちゃんと喰ってるって。おまえたちが喰い過ぎなんだろー」
「こんなものでは、立派な武人にはなれぬぞ」
「自分はべつに、ぶじん目指してるわけじゃないんで~」
ミカヅチの腕に手を添えながら、己の足で床に立ったハクは、ミカヅチがくぐり戸を出て行くのと入れ替わりに、こちらへ戻ってきた。
「……どうした? なんか怖いぞ」
訝しげに、ハクがこちらを見つめている。片膝をついたまま固まっていたオシュトルは、彼の声でハッと我に返った。
ミカヅチにしてみれば、目の前で起きた出来事に対処しただけの事だっただろう。ただ、彼がハクに触れただけだ。それだけなのに、オシュトルは己の中に、言い表しようの無い憤りを感じたのだ。
――この男に、触れるな。
「オシュトル?」
酔いが醒めたかのように、ハクは戸惑いの表情を浮かべている。オシュトルは唐突に、ハクの腕を掴んでいた。そのまま引き寄せて、己の胸に抱き寄せる。
「お、おいっ」
ハクが己の手から逃れようともがく。「アイツが戻ってきたらどうするんだッ」
「かまわぬ」
片方の手でハクの顎を上向かせると、唇を吸った。どちらからともなく酒の匂いが漂ってくる。
「やめ……ッ」
抵抗するハクを無視して、更に舌を入れようとした時、唇に鋭い痛みが走って、オシュトルは顔を離した。
口の中に血の味がした。唇の何処かを切ったらしい。己の口に手の甲を当てながらハクに目を向けると、彼は何かに耐えるように唇を噛み、こちらをじっと睨んでいた。
オシュトルはようやく、己が彼の心を傷つけた事に気づいた。
「ハク……某は」
「自分は、こういうのは好きじゃない」
いつ人目に触れるかわからないような所では、あまりハクは積極的ではなかった。それは、オシュトルの地位の重大さを知っているせいでもあるのか、己との交際が明るみになるのを避けているようだった。ハクの言いたい事はわかる。朝廷内には、オシュトルの事をよく思っていない輩もいるだろう。だから、少しでも彼らに弱みを握られる事はしたくないということだ。
だが、オシュトル自身はもし他の誰かに知られたとしても構わない、と思っている。お互いの認識のズレが、この事態を招いたのだろうか。
「手、離してくれよ」
言われるがままにハクの腕を放すと、彼は壁に手をつきながらくぐり戸の側まで行くと、僅かにこちらに顔を向けた。その表情はこちらからは良く見えなかった。
「……帰る」
「ハク……!」
その背中は「追って来るな」と言っている様だった。くぐり戸が冷たい音を立てて閉じられる。オシュトルは、伸ばした手を降ろし、己の膝の上で強く握り締めると、ハクが持ってきた大きな徳利の蓋を開けた。強い酒精の香りが鼻を突く。オシュトルは構わずその徳利に口を付けた。切れた唇に酒が沁みる。
手を離さぬほうが良かったのだろうか。
先ほどまで彼を掴んでいた手を見つめ、自問する。もし引き止めておけば、ハクはいつものように「仕方ないな」とでも言って、己を許してくれたのだろうか。
「恋は、どんな戦よりもままならぬものだな……」
手のひらを握り締め、自嘲する。そんな時、くぐり戸の扉が勢い良く開いた。
「おい、何荒れてやがる」
厠から戻ってきたミカヅチが眉を顰めた。
「ハクと何かあったのか? あやつ、酔ったから帰ると言って、一人で出て行ったが」
「ああ……」
喉が焼けるように熱かった。胡坐の上に肘をついて項垂れる。ミカヅチの床を踏む足音が、目の前で止まった。
「貴様が泣かせたのか?」
「何?」
彼の言葉に顔を上げる。ハクが泣いていた?
先ほど、ハクが帰ると告げた時、その表情は見えなかった。あの時、既に泣いていたのだろうか。
その涙を見たミカヅチに対して、再び嫉妬心に火が点いた。
「貴様には関係ない」
「関係ないだと……? こんな茶番を俺に用意させたお貴様がそれを言うのか」
ミカヅチが胸倉を掴んできた。そして、切った唇を指で擦られる。痛みに、知らず声が出た。
その声で満足したのか、ミカヅチは手を離す。
「大方、貴様がハクに迫って逃げられた。と言った所か」
「……」
その言葉に、オシュトルは表情を固くする。
「何故、わかったのかと言う様な目をしているな? こちとら、何も考えずに飴屋の親父をしているわけではないのでな」
一瞬、サコンの口調になったミカヅチは、すぐに表情を改める。
「もし、あやつが貴様の大事な者であるなら、何があってもその手を離すな。それが漢というものではないのか」
「我らの関係、知っていたのか?」
ミカヅチの言葉は、まるで己たちが恋人であると知っているような口ぶりだった。彼は、その問いには答えずに元の座に腰を落ち着けると、先ほどオシュトルが口を付けた徳利を掴んで酒を注いだ。
「貴様たちがどういう関係であろうと、俺には関わりの無い事だ」
だが、とミカヅチはオシュトルの背後へと視線を向けた。そこには、彼から譲り受けた月光花の鉢植えが置いてある。
「わざわざ花見の席であやつに花を選ばせたのは、貴様にとってハクが大事な者だということではないのか」
まさか、この武一辺倒の男に、愛について語られるとは思ってもみなかった。彼への嫉妬は、すっかりと消えうせていた。居住まいを正して、ミカヅチを見つめる。
「……ミカヅチ殿、某も失礼仕る」
「ああ、その鉢植えは後ほど貴様の屋敷に届けさせる」
「忝い」
オシュトルは、興味を失くしたかのように再び酒を呑み始めたミカヅチに頭を下げると、確かな足取りでくぐり戸を出て行った。
「オシュトル様。雨が降って参りましたので、この傘をお持ちください」
逸る気持ちを抑えて、ミルージュが差し出してくれた傘を受け取ると、宵の闇へと飛び出した。突然の雨に、皆は何処かへ避難したのか、道を歩く人はまばらであった。もし、ハクも同じように何処かで雨宿りをしているとなると、彼を探し出すのが難しくなる。
(ハク……)
彼は壁に寄りかからねばなならぬほど、相当酒に酔っていた。とすると、それほど遠くまでは行ってはいないはずだが。
「あ、オシュトル様だ」
「何処へ行かれるのかしら」
すれ違う人々が、オシュトルを振り返り小声で噂する。やはりこの姿で町を歩くのは目立ちすぎるのだ。オシュトルは、適当な道を曲がると人が居ない事を確認して仮面を外した。目立つ白い上掛けも外すと、髪を下ろした姿で元の道に戻った。
無情にも、雨は激しさを増すばかりだ。
「ハク……!」
オシュトルの呟きは、降り募る雨の音にかき消された。
***
いつの間にか、月は雲間に隠れてしまっていた。
ハクは、屋敷の塀伝いに白楼閣へと向けて歩みを進めている。そのつもりではあるのだが、正直今何処を歩いているのかわからなくなっていた。
(くそ……飲みすぎたか)
ミカヅチの屋敷の玄関で、ミルージュに駕籠を呼ぼうかと訊かれたが、今はそんなものを待っているよりも、一刻も早くこの場から去りたかった。
オシュトルの側から。
あの時、オシュトルが何故、いきなり接吻を迫ってきたのかわからなかった。もし、あの場がオシュトルの私室で二人きりの時であれば、ハクは拒む事はなかっただろう。だが、あの場所はミカヅチの私室である。いつ戻って来てもおかしくない場所だった。
もし、ミカヅチに二人の関係が知られてしまったなら、他の八柱将に知られてしまう可能性がある。それをハクが恐れないわけがない。
(自分のせいで、オシュトルの立場が悪くなったら……)
それを考えただけで、肝が冷える。彼が努力して掴み取った地位は、みすみす己一人のせいで台無しにしてしまうには、あまりにも大きすぎる。
「オシュトルの……バカやろー」
酔いに任せて、悪態をつく。すると、天罰とばかりにぽつぽつと雨が降り出してきた。次第に雨足が強まり、全身が雨に濡れた。
もっと降れ。己の流した涙の跡が見えなくなるまで。
ハクは暗い空を見上げたまま、暫く声も無く泣いた。
ポタポタと髪の毛の先から水が滴り落ちる。
少し泣いて落ち着きを取り戻したハクは、顔をぞんざいに濡れた袖で拭くと、雨の中を再びふらふらと歩き出した。
「寒いな」
濡れた服が、容赦なく体温を奪っていく。
早く風呂に入って眠ってしまいたい。そうすれば、今日のモヤモヤも忘れられるような気がした。
民家の壁に手をつきながら、そんな事を考えていた時、
「ハク!」
背後からの声に、ビクリと体を強張らせた。雨音に混じりに聞こえた低く通る声。それを聞き間違えるはずがなかった。
だが、ハクは振り返る事ができなかった。壁についている手を握り締める。可能であれば走り去りたい気分だったが、酔いの回っている己の足では、到底巻く事などできなかった。
濡れた地面を踏む音が近づいてくる。せめてもと、ハクは歩みを止めなかった。だが、その距離は確実に縮まっていた。
「ハク」
もう一度、彼の声が耳に届いた。どこか、痛みを押し殺したような声音だった。
ふと、耳の側で鳴っていた雨音が遠くに感じた。顔を上げると、己の周りの雨は止んでいた。いや、傘が頭上に差し出されていた。仕方なく振り返ると、仮面と特徴的な装飾が施されている上掛けを外した姿の、オシュトルが傘を持って立っていた。
二人の間に、パラパラと傘を打つ雨の音だけが聞こえている。
「俺は、あの男に嫉妬したのだ」
オシュトルとも、ウコンともつかない口調で、彼は呟いた。あの男とは、ミカヅチの事だろう。
「お前が、あの男に支えられたのを見て、俺は嫉妬した」
「あれは事故だろ」
躓いた己を、ミカヅチは支えてくれただけだ。
「酒のせいといえば、言い訳になるかもしれないが、違う。俺は、お前を誰にも触れさせたくなかった」
「オシュ…トル?」
「己の独占欲のせいで、お前を傷つけてしまった。……済まなかった」
オシュトルは、その場で頭を下げた。
「そんな、自分に謝る必要なんてないだろ、お前は」
「いや、其方の気持ちも考えずに、自分勝手な行いだった。許してはくれぬか?」
その言葉遣いは、いつものオシュトルに戻っていた。ずっと腰を曲げたままのオシュトルに、ハクは先ほどまでの己の悲しみをぶつけた。
「自分は、もしミカヅチに自分たちの事を知られたらって思ったら、怖かったんだ」
「ああ」
「お前の地位を、自分ひとりのせいで、台無しにしたくはない」
(何処から来たのかわからない自分のせいで……)
ウズールッシャの遺跡で見た、ヒトの成れの果て――タタリと、恐らく己は同じモノなのだろうと思う。確信があるわけではないが、そうでなければ説明のつかないことが多すぎた。
遺跡の明かりの付け方を知っていた。最初に目覚めた時に着ていた服。そして、時々見る夢の事も。
そんな不安に揺れているハクを救ってくれたのは、オシュトルだ。彼が宴を開いてくれ、なんでもないことのように振舞ってくれた。他の皆もそうだった。だから、今ハクはこうして居られる。
それを壊したくない。
「お前が、好きだから。余計にそう思う」
何故か涙が零れた。一度流れ出した涙は、止め処なくハクの頬を伝った。
「自分は、お前が好きなんだ」
もう一度、確かめるように言った。そう、オシュトルは、何にも換え難い存在なのだ。だからこそ、思う。
「だから、この関係は終わりにしたほうがいい」
「ハク――」
オシュトルは驚いたように顔を上げた。そして、ハクの顔を見て掛ける言葉を失ったように、こちらを見ている。
ハク自身、何故そんな事を言ったのかわからなかった。だが、そういうことだろう。
「お前の、右近衛大将の名を傷つけたくない」
頬に伝った涙を袖で拭く。握った拳は震えていた。それを悟られないように、体を反転させると、オシュトルの傘から小降りになった雨の中に踏み出した。
酔いが醒めてきたのか、今度はよろけずに真っ直ぐ歩く事が出来た。再び雨に打たれながら、白楼閣へと歩く。背後を振り返ることはできなかった。
***
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
――この関係を終わらせる?
背中を向けて歩いていくハクを、オシュトルは呆然と見つめていた。小さな嫉妬が、取り返しのつかないほどの代償を負ったということか。
「ハク――」
彼の背中に向けて、オシュトルはもう一度名を呼んだ。だが、彼が振り返ることはなかった。その背中が、次第に小さくなってゆく。
「ハク――!」
通りかかる人が、驚いたようにこちらを見たが、構わなかった。
オシュトルは、傘を捨ててハクを追った。
――お前は、某の支えなのだ。
いつの間にか、重責を担っていた。下級武士の出だと囁かれても、聞こえないふりをしてやり過ごしてきた。総てをこの國の為にと捧げてきた己のもとに、彼が現れるまでは。
「ハク!」
通りの角を曲がってゆくハクの腕を掴んだ。誰が見ていても、そんなものは関係ない。
「おま……」
「某を置いて行くな。ハク」
彼の華奢な体を抱きしめて、オシュトルは祈るように囁いた。
「其方との関係が朝廷に知られたとしても、そのせいで某の地位が揺らいだとしても、構わない」
「オシュ……」
「大将としての地位が無くなったとしても、某が某でなくなるわけではない。そうだろう? ハク」
「そうだけど……」
戸惑うように、ハクが顔を上げる。泣いていたせいか、彼の目の縁は赤くなっていた。
「今、ここに居る民に宣言しようか?」
「やっ、ヤメテくれっ」
大きく口を開けかけたのを、ハクに止められた。「お前が本気なのはわかったからっ」
抱きしめていた腕を緩めると、ハクがバツが悪そうな顔をした。
「自分も、あそこまで言うつもりはなかったんだ……だけど、自分のせいでお前の立場が揺らぐのは、やっぱり本望じゃない」
「ああ、わかっている」
不安がるハクの肩をなだめるように撫でる。
「だが万が一、某と其方との関係が明るみになったとしても、それほど害はないと思うのだが」
それは、率直な感想であった。一部では男色行為が容認されているこの國で、つがいに男を選ぶ者が居ないとは考えられない。
「多分、一番衝撃を受けるのは、お前の妹と女子たちだろうな」
しみじみとそう言ったハクに、オシュトルは首を傾げた。ネコネは、己のハクへの好意を容認していると思っていたのだが、そうではないのだろうか。
「この話は終わりにしよう」
人通りが少ないにしても、往来である。いつの間にか、雨は止んでいた。晴れ間から月が、ひょっこりと顔を出している。
その月を見上げて、オシュトルは思わず声を上げた。
「これは……」
「すごいな」
二人して、感嘆を漏らした。月の回りに、まるで虹のような光が円を描いて浮かんでいた。
「月虹……か」
「ゲッコウ?」
「月に架かる虹のことだ。雨が降った後に架かることがあるのだが、きわめて珍しい」
「ふぅん。運がいいな」
「これが見られたのは、其方のお陰だな」
「自分の日頃の行いが良いからだな」
お互いに顔を見合わせて笑う。先ほどまでの喧嘩がまるで嘘のようだった。
「悲しい思いをさせて済まなかった」
改めて、オシュトルは詫びた。
「そう思うなら、今度酒を奢れよ」
明るくそう言ったハクに頷く。「ああ、必ず」
オシュトルは、固辞するハクに構わず、彼を白楼閣へと送っていった。ずぶぬれになっていたハクは、寒そうに両腕をさすっている。
「寒いのか?」
「お前ほど頑丈にできていないんでな。早く風呂に入りたいぞ」
雨が止んだお陰で、人通りはあるものの、ハクとオシュトルを振り返る目はなかった。普段の仮面をつけていないし、服装も変えているせいかもしれなかった。
「白楼閣の風呂に毎日入れる其方が羨ましいな」
オシュトルの屋敷も、湯船は無く蒸し風呂である。この國に湯を引いている場所など、聖廟以外には数えるほどしかないだろう。
「……」
ハクは、何か考え込むように口を閉ざしている。やがて、白楼閣の灯りが見えてきた。入り口の手前で立ち止まったハクの背中を見つめる。
――名残惜しい。
一つに束ねている髪に触れると、彼が振り返った。「な、ナンダヨ」
「其方と再び会えなくなると思うと、何やら寂しくてな」
「……すぐ、会えるだろ。同じ帝都の屋根の下なんだからさ」
薄闇の中、ハクが頬を赤らめたように見えた。そして、逡巡するようにあたりをキョロキョロと見回したハクは、小さな声で、
「お前も濡れてるだろ、風呂、入ってけよ」
と言った。オシュトルは瞠目する。
ハクが己を誘うなど珍しい。「入るか?」ではなく「入ってけよ」という些細な言葉の違いだったが、これは進歩だと言っていいのではないか。
「……それじゃ、いっちょ、入れて貰うとするか」
ウコンの口調でそう言うと、ハクは少し緊張が解けたようにふわりと笑った。
***
「ただいまー」
ずぶ濡れの服を絞って、玄関で声を掛ける。さすがにこのまま廊下を歩いていったら、女子衆さんに怒られるに違いない。近くを通りかかった女子衆さんに拭くものを持ってきてもらうように伝えた。
待っている間、手持ち無沙汰なハクはオシュトルを振り返った。
「オ……なぁ」
この場所で、オシュトルの名前を呼ぶのは憚りがある。しかし、ウコンかといえば髭がないので、その名では呼び辛い。結局名前は呼ばずに彼を呼んだ。
「なんでぃ?」
返答したオシュトルは、ウコンの口調である。
「そういえば、庭に手を入れるのか?」
気になっていたことを聞いてみる。ミカヅチがそんな事を言っていたような気がした。
「ああ、そうさ。そうすれば、お前さんと庭を愛でながら酒が呑めるかと思ってな」
オシュトルはそう言って、片目を閉じる。
「お前さんが言い出したことだぜ」
「自分が……」
「お前さんが、此処を濡らした日さ」
そう言って、太ももの辺りを指す。
「なんか、その言い方やめてくれる?」
茶を零しただけなのに、卑猥に聞こえるんですけど。
そういえば、オシュトルの屋敷の庭は殺風景だったから、花か樹でも植えたらどうだと言ったんだった。すっかり自分でも忘れていたのだが。
「お前さんが選んでくれた花を、最初に植えたくてな」
「……そっか」
何故だか少し面映い。鼻を指でこすった拍子に、くしゃみがでた。
「あらあら、大きなくしゃみですこと」
その声に、ハクは驚いて振り返った。艶のある大人の女性の声。白楼閣の女主人・カルラがそこに立っていた。
「ほう……」
オシュトルも、彼女の妖艶な姿に感嘆の声をあげている。彼女は、濡れねずみのハクとオシュトルに視線をやって目を細めた。
「そんな恰好で、水遊びでもなさってまして?」
「いや、通り雨ですよ。すんごい降ってたんです、なぁ」
「ええ。こいつなんて土砂降りの中はしゃいじゃって」
(自分ははしゃいでないけど)
オシュトルが、大げさに相槌を打つ。そんな時、女子衆さんが大判の拭き布を持って来てくれた。
「今から、湯殿へ?」
「ええ。もう寒くって」
腕を抱えてそう言うと、白楼閣の主は「それでは」と口を開いた。
「本日だけ、特別な場所へご案内いたしましょう」
「え?」
「あの子にはナイショですわよ」
そう言って、女将は人差し指を口元に当てて、悪戯っぽく笑った。
「ほぅ」
「これは……」
思わず感嘆の声。
女将に案内されたのは、一般客が立ち入る事ができない場所にある露天風呂だった。
二人が足を伸ばして入れるくらいの小さな岩造りの湯船だが、外からの目隠しのようになっている岩山の隙間には、色とりどりの花が咲いている。見上げれば、先ほどの雨は何だったのかと思うほど、満天の星空が広がっていた。まるで、ここだけが別世界のようだ。
「ひゃっほーい」
ざっぱーん。と、ハクは湯船に飛び込んだ。周りに人がいないからできる芸当だった。
「お、やるねぇ」
カラカラとオシュトルが笑う。かけ湯をして湯の中に入ると、息を吐いてそこから見える景色を眺めていた。
「女将は、俺の事気付いていたのかねぇ」
のんびりと頭に手ぬぐいを乗せて、オシュトルが呟く。「中々に侮れぬ方のようだ」
オシュトルだと気付いたからこそ、この個室に案内してくれたのだろうか。この宿も、主人も色々と謎は尽きない。
「そうだったら、今日ばかりは感謝だな」
オシュトルが大浴場に入っていたら、色々と不都合があるだろう。ハクは、肩までざぶんと湯に浸かると、オシュトルと同じ方向を見た。岩山に咲く小さな花と、周りに植えられた緑が軒先に吊るされている明かりに照らされている。
「……なぁ、ハク」
夜空を見上げながら、オシュトルが口を開いた。
「ん?」
「何故、『月に映える花』がいいなんて言ったのだ?」
「あぁ……」
まさか理由を問われるとは思ってはいなかったので、少し恥ずかしい。ハクは目の前の湯船の岩肌に腕を置き、その上に顎を乗せてオシュトルから顔を隠した。
「月を見てると、お前の事思い出しちまうんだ」
ポツリと呟く。
「そんな月の下で咲く花が見られたらいいなぁと思って……」
尻すぼみになってゆく言葉。顔が赤くなっていないだろうか。
「ハク……」
「ひゃっ」
ぱしゃんと湯が跳ねた。背後からオシュトルに抱き締められる。にごり湯の中で、二人の体がぶつかった。
「其方が愛おしい」
オシュトルに抱き包められて、顔が赤くなるのを感じた。これは、湯の熱さのせいではない。
「某が、月ならば。其方はその光を浴びる花だな」
彼が耳元で囁いた。そうやってオシュトルは、恥ずかしい事を惜しげもなく言い放つのだ。
「自分は……花なんかじゃ、ない」
何しろ、華やかさのかけらもない。
「道端の雑草だとしても、見るものが花だと思えば、それは花だ」
(それは、自分が雑草という事か……その通りだけど)
オシュトルがそれを花だというのなら、そういうことにしておこう。
「この花を愛でることが出来るのは、某だけだ」
「どこ触りながら、言ってるン……だよっ」
このままでは、情に流されかねない。
「駄目なのか」
「ダメに決まってるだろ」
もし、女将にこの事が知られたら、どうなるか分からない。
「そうか」
少し残念そうにオシュトルはそう言うと、体を離してハクと向かい合わせに座る。湯で温められた掌が、そっと頬に触れた。
「ハク……其方を愛してる」
「ああ。自分も」
なんだか、相手を目の前にすると、少しこそばゆい。
オシュトルは、涼しげな目を細めると、頬に触れたまま顔を近づけてくる。唇が触れ合う瞬間、ハクは目を閉じた。
しっとりとした感触が、ハクの唇に伝わった。
二人は暫く無言で、夜空の景色を見つめていた。
***
露天風呂を借りた礼を女将に言い、ハクと白楼閣の前で別れた。
「じゃあな」
手を振るでもなく、袖の中に隠したまま、ハクはそう言った。彼の顔が赤いのは、湯にあたったわけではないだろう。
「ああ」
仮面は来た時と同じように、懐の中にしまってある。借りた服を着ているので、まず己が右近衛大将だとはばれないだろう。
去り際振り返ると、じっと佇んで見送ってくれているハクの姿があった。今の彼は何を考えているのだろうか。名残惜しく感じてくれているのだろうか。
軽く手を上げると、ハクは慌しくあたりを見回して誰も居ない事を確かめると、軽く手を上げ返してくれた。それだけで、オシュトルは満足だった。
翌朝、オシュトルの屋敷に、ミカヅチからの鉢植えが届けられていた。
私室の机に置かれているそれを立ったまま見つめていると、書簡を抱えたネコネが顔を出した。
「その花は、どうしたのです?」
「ああ、ミカヅチ殿から譲り受けたのだ。庭に植えようと思ってな」
「そうですか。この花を選ぶとは、さすが兄さまなのです」
ネコネは、目を輝かせてオシュトルを見上げている。選んだのはハクだが、そこは黙っておいた方がいいのだろうか。
「どういうことだ?」
ネコネの言葉の意味が分からず、オシュトルは妹に問いかける。
すると、彼女は花びらを指でつつきながら言う。
「この月光花の花言葉をご存知ですか?」
「……いや」
「『希望』って言うですよ。いい花言葉なのです」
「希望……」
花を選んだハクには、そのつもりはないのだろうが、オシュトルの胸にはネコネが教えてくれた花言葉が深く刻まれた。
「そうだな。いい花だ」
ネコネが去った後も、オシュトルは暫くその花を眺めていた。