※ゲーム時間軸(ウルサラ加入後)
※オシュトル家族設定で不明な部分に捏造あり
寝苦しい夜だった。
ハクは、薄闇の中を一人で歩いていた。ふわふわとした、不安定な足元。それは、あのミトの爺さんの元へ向かう時のような感覚だった。
町並みがひどくぼやけてしまっている。そんな中を、ハクは行く宛ても無く歩いていた。
――自分は、何処へ向かおうとしているんだろう。
ぼんやりと考えてはみるものの、その問いに対する答えは見つけられなかった。
やがて、目の前に石灯籠の明かりが灯る。ぽつ、ぽつと、ハクを導くかのように、その灯りは道の両脇からずっと奥へと続いているようだった。
ハクは、不確かな足元を、燈籠の明かりを頼りに先へと進んでいった。
暫く進むと、
「よく、参られた。ハク殿」
その声に、ハクは目をやった。最後の燈籠を抜けた先には、大きな篝火が二本立っている。その間に、篝火の炎に照らされて白い仮面を着けた男が立っていた。その男を、ハクは知っていた。
「オシュトル……?」
呆然と呟く。どうして、こんな所に。
「さあ、こちらへ参られよ」
そう言って、オシュトルが手を差し伸べる。ハクは、言われるがままに手を差し出そうとした。
その時、
「待ちやがれぃっ」
威勢の良い声と共に、背後の闇の中から提灯がポツンと現れた。
それを手にしているのは、
「ウコン?」
薄暗闇にぼうっと浮かび上がる顔は、見間違えようも無くウコンであった。
「え? 何? どういうこと?」
ハクは、前方のオシュトルと後方にいるウコンを交互に見た。
頭がはっきりしていないのもあって、目の前の状況に混乱するばかりだ。
「こっちにオシュトルがいるってことは、お前は誰だ?」
「ナニ言ってやがる、アンちゃん。俺の事忘れちまったのかい?」
「ウコン、なのか?」
「当たり前ぇじゃねーか」
「いや、でもあっちに……」
ハクは、反対方向にいるオシュトルを指差した。
「オシュトル……だよな?」
「無論。其方に限って某を見誤る事はないと思うが」
「……」
何だ、コレは。
わけがわからない。ハクは頭を抱えた。
オシュトルとウコンは一人のはずだった。いや、元々オシュトルという人間がウコンを演じていたのだから、ウコンがこの場にいる事自体が不自然だ。
ということは、ウコンが偽者ということだろうか。いや、それともオシュトル自体が別人という線もある。
(頭がおかしくなりそうだ)
「ハク殿」
そんなハクに向かって、オシュトルが口を開く。
「本日は、ハク殿にはっきりさせておきたい事があるのだ」
「? 何だ。はっきりさせておきたい事って」
オシュトルの言葉を引き継いだのは、ウコンだった。
「アンちゃんは、俺とアイツ、どっちが好きなんだい?」
ウコン自身とオシュトルを指差して、彼がそう言った。
「……は?」
思わず、間抜けな声を出してしまった。「何言ってんだよ、お前」
どちらといわれても、どっちも元は一人じゃないか。
右を向けばオシュトル。
「ハク殿。某と交わした接吻は忘れてはおらぬだろうな」
「あ? ああ……」
左を向けばウコン。
「ナニ言ってやがる! アンちゃんと、俺はもっと深いところで繋がったんだぜ!」
「ちょッ……!」
ハクは、自慢げに胸を張るウコンに目を剥いた。オシュトルは腕を組み、ハクを挟んで対峙するウコンを見据えている。
「ほう? どう繋がったのか教えてもらおうではないか」
「いいぜ、まずアンちゃんのナニを……」
「ちょ、ちょちょちょい待ち! ウコンさんちょっと!」
ハクは慌ててウコンに駆け寄り彼の口を塞いだ。いきなり何を言い出すのだこの男は。ウコンを見上げると、彼の目が獲物を捕らえたかのようにギラリと光ったような気がした。
「わかってたぜ、アンちゃん。俺を選んでくれるってな」
「へ? うわッ」
ウコンは、目の前にいるハクを抱き上げると、まるで荷を運ぶかのようにハクを肩に担いだ。そして、呆然と立ち尽くしているオシュトルに、勝ち誇ったような視線を向けた。
「悪ィな、オシュトル。こいつは俺のモンだ」
「まて、貴様のそれは略奪というのだ」
低く殺気立った声に、ハクは恐る恐るオシュトルを見た。ウコンの背中越しに見えるオシュトルは、今にも腰に提げている太刀を抜き放とうとしている。
「お、オシュトル」
そんなオシュトルにも恐れを見せず――本人なのだから当然かもしれないが――、ウコンは飄然とオシュトルを見返した。
「堅物のお前さんより、俺の方がいいってアンちゃんは言ってるんだ。そうだよな?」
「いや、自分は……」
確かに、ウコンは気安くて何でも話せる近所のお兄さん的存在だ。それは認めるが、オシュトルも側にいて心安らぐ存在だ。ウコンが動とすれば、オシュトルは静だろう。そもそも、彼は一人なのだから優劣をつける必要なんてないのだ。
「どうしてこうなった……」
思わず口癖がついて出る。どちらか一方を取るなんてできない。
「ハク殿」
「わっ」
いつの間にか、オシュトルが目の前に立っていた。ウコンに担がれたハクを挟んで、目の前にオシュトルがいる。変な構図だった。
「其方の気持ちはわかっているつもりだ。某と共に、歩んで行ってくれると」
「あ、ああ」
「では、こちらへ」
そう言うと、オシュトルはハクの腕を引いた。ウコンの肩からハクを引き摺り下ろそうとしているようだ。腕がミシミシといやな音を立てた。
「イデデデデッ」
「何するんでいッ、オシュトル!」
「貴様こそ、ハク殿を放せ」
「ちょっ苦しッ」
ハクを肩から下ろしたウコンは、今度はハクを間にオシュトルともみ合いになる。二人に挟まれたハクは、まるで本当に板ばさみになっているかのようにモミクチャになった。
「な、なんだこれーーッ」
しかも、やけに弾力がある。腕から肩にかけてプニプニとしたものが押し付けられているような感覚だった。
ん、ぷにぷに?
そこで、目が覚めた。
「ゆ、夢……か?」
暗闇の中、ハクは背中にびっしょりと汗を掻いていた。そして、寝巻きが乱れて帯でかろうじて腰に引っかかっている状態だった。
(あー夢でよかった……)
ハクはほっと胸を撫でおろした。ウコンとオシュトルが別々に存在しているとしたら、これでは二股状態ではないか。
それにしても、やけに現実的なな夢だった。
額の汗を拭こうとして腕を上げかけたハクは、違和感に気づいた。
プニプニとする弾力あるものが、両腕を圧迫している。
恐る恐る肩までかかっている布団を足でずり下ろすと、二人の少女が左右からハクを挟んで眠っている。ウルゥルとサラァナであった。帝からの賜り物で『鎖の巫』である彼女たちは、ハクの世話をするといって、四六時中側をついて回っている。
言葉どおり、おはようからおやすみまで。
(こいつらのせいかー!!)
ハクは思い切り脱力した。彼女たちを起こさぬようにゆっくりと絡んでいる腕を外し、そっと寝所を抜け出した。水を飲もうと台所へ向かう廊下へ出ると、
「寒っ」
濡れた汗が夜風に当たって冷やされたせいか、やけに寒く感じる。両腕をさすりながら、ハクは真夜中の空に浮かんでいる白い月を見上げた。
冴え冴えとした光が、静まり返った白楼閣の庭を照らしている。その月明かりは、ある男の姿と重なった。
「オシュトル……」
最近会ったのは、まさしく帝と謁見する際にオシュトルと共に聖廟へと参内した時だった。「何故こいつが」という視線を一点に集めながら、ハクはアンジュ皇女を誘拐犯の手から救ったという功績により、鎖の巫である双子の姉妹を帝から賜ったのだった。
殺気だった八柱将の一部の目から逃れるように、オシュトルとハクは聖廟を後にした。でっかい『褒美』と共に。
それ以来、オシュトルとは会っていない。もちろん、ウコンとしても。
何やら、戦が始まるという噂話も聞こえてきていた。そのせいでオシュトルは忙しいのだろうとハクは思っている。それに加えて、ウルゥルとサラァナが一日中己に張り付いている現状を考えると、ふらっと訪ねていくこともできない。
大人というものは、己の感情だけではどうにもならない都合というものがある。それを弁えているからこそ、今は己に課せられた仕事を黙々とこなしているのだった。
――淋しくないと言ったら嘘になるケド。
「おっと、水水っと」
本来の目的を思い出したハクは、台所へと向かう。水瓶に溜められている水を柄杓ですくい、乾いた喉を潤した。一息吐いて部屋に戻ろうとした時、背後に視線を感じた。
「主さま」
「うおっ、び、ビックリするじゃねーか」
いつの間にか、ウルゥルとサラァナが立っていた。
「主さま、いない」
と、ウルゥル。
「主さまが寝所にいらっしゃらなかったので、お探ししました」
サラァナが、補足するようにそう言った。
「ああ……ちょっと寝苦しくてな。お前たちも、自分にくっついて寝なくていいぞ」
できれば、寝る時くらいゆっくりしたい。
言葉には出さずに、心の中で呟いた。彼女たちは、互いに顔を見合わせる。そうすることで、意思の疎通をしているのだろうか。代表してサラァナが口を開いた。
「主さまは、オシュトルさまにお会いになりたいのですか?」
「な、何故それを……」
言いかけて、慌てて顔を振る。「は? 何言ってるんだ、お前たちは……」
「寝てる時、言ってた」
「主さまが寝言で、オシュトルさまとウコンさまのお名前を呼んでいらっしゃっいました」
「……」
穴があったら入りたい。目の前の水瓶に水が入っていなかったら、すぐさま飛び込んで蓋を閉めていたことだろう。
「廊下でも言ってた」
「廊下でも、オシュトルさまの名を呼んでいらっしゃいました」
一体いつから聞いていたんだ。
「主さまと、オシュトルさま……そういう関係?」
「主さまは、オシュトルさまと熱い一夜を共にするご関係なのですか?」
彼女たちが更に追い討ちをかける。ハクは、ガクリと膝をついた。真顔で言うものだから、更に心への傷は深い。
「もうヤメテクダサイ。立ち直れなくなっちゃうから」
己の口が緩いのか、想いが強すぎるのか。いや、寝言なんて自分の意識の範疇外だ。独り言だって、まさか誰かに聞かれているとは思っていなかったのだ。ハクは、そろそろと双子を見上げた。彼女たちは、きょとんとした瞳でハクを見下ろしている。
この、無言の視線にどう答えたらいいものやら。まさか、面と向かって「オシュトルとはそういう関係です」とは己の口からはいい難い。一度口にしたら、何故かクオン達にまで知れ渡りそうな気がした。それはできれば避けたいところだった。特に、ネコネに知られるわけはいかなかった。
ここは、例え無理があるとしても、違うと誤魔化しておくのが最善だろうか?
ハクは、頭の中でグルグルと答えを探していた。
そんな深夜の台所に落ちた沈黙を破ったのは、双子たちだった。
「会いに行く」
「それ程、オシュトルさまに会いたいのでしたら、私たちがお連れします」
「……はぁ?」
思いもよらない言葉に、ハクは目が点になる。一瞬何を言われたのかわからなかった。ぽかんと口を開け、言葉の意味を咀嚼するように目を閉じる。そして、恐る恐る口を開いた。
「……今から?」
「当然」
「ホントに? 冗談じゃなく?」
「はい。これから行かれるのでしたら、私たちの『道』でお連れいたします」
いつも、ミトの爺さんの元へ向かうときに使っている『道』のことだろう。どういう原理かわからないが、誰にも会うことなく目的地に行けるらしい。
――そんなに便利なモノだったのか、あのモヤモヤしたやつ。
しかし、今が何時かわからないが、おそらく誰もが寝静まっている時間だろう。今からオシュトルに会いに行ったとしても、寝ている可能性のほうが高い。
(寝ているなら、そちらの方が都合がいい、か)
彼の寝顔を見て、すぐに帰ってくればいいだけの話だ。オシュトルが忙しくしていないか気になっていた所だったし、二人の好意も無駄にせずに済む。それが、今の己に妥協できる一番の答えだった。
「じゃあ、行くか。ちょっと顔見るだけだからなっ。わかったな」
ビシリと、二人を指差して確認する。ウルゥルとサラァナは、お互いの顔を見合わせて頷いた。
寝巻きに外套だけを羽織って、ハクはウルゥルとサラァナの間に立っていた。
いつもの靄が、三人の周りを囲んでいる。ハクは促されるままに夜の町を歩いていた。
「なぁ、本当にオシュトルの家に向かっているのか?」
実際、半信半疑だった。だが、確実に足は前に進んでいる。
「問題ない」
「はい。もうそろそろ到着すると思います」
「そっか」
もうすぐ、オシュトルに会える。
そう思うと、少しだけそわそわした。もし、まだオシュトルが起きていたら少しくらい話ができるだろうか。寝ているとすれば、彼の無防備な寝顔を見てやりたい気もする。
ハクは、外套を抱き込むように腕を胸に寄せた。目の前が少し開けると、オシュトル邸の見慣れた門が見えてきた。扉は閉め切られ、辺りはシンと静まり返っている。
「おい、閉まってるぞ」
これでは中に入れない。
「このまま抜ける」
「私たちから離れずについて来てください」
どうやら、扉なんてあってないようなものらしい。双子たちは、迷うことなく扉へと突き進んでいく。
(ぶつかる――!)
ハクは目を瞑ったが、扉にぶつかることはなかった。振り返ると、門扉は傷一つ無くそこにあった。ほっとしたと同時に、脱力した。
「来てしまったか……」
オシュトルのすぐ側まで。
「オシュトルさまのお部屋はあちらのようです」
サラァナがそう言って庭に面して並んでいる部屋の一つを指差した。そこは執務室の隣の部屋だった。この屋敷の中では、ハクは執務室しか入ったことがない。ハクは、靄の中から閉じられている障子をじっと見つめた。すると、両脇から二人に袖を引っ張られた。
「ついていく」
「主さま。私たちもついていってもよろしいでしょうか」
「ま、待てぇい!」
さも当然のように、オシュトルの部屋へと向かおうとする二人を全力で引き止める。
「お前たちがいると話がややこしくなる。自分ひとりで行くから、お前たちは隠れてろっ」
「何故」
「主さまが望まれるのでしたら、私たちはオシュトルさまとご一緒でもよろしいですが」
「何の話をしているんだ、お前たちは」
どうもこの姉妹は、色事についてはやけに積極的になるきらいがある。
「自分はオシュトルの顔を見に行くだけだ。そうだ。何もやましい事なんて無い」
それに、この時刻に起きているはずが無い。障子の向こうの明かりは消えている。さすがのオシュトルも、今は夢の中だ。
どこか不満げにこちらを見つめている二人を靄の中に留め置き、ハクはそろりと靄から足を出した。先ほどまでの不確かな感覚から、現実へと引き戻される。冷やりとした空気が、ハクの全身を包み込んだ。
冴え冴えとした月の光が、屋敷の庭と部屋へと続く縁側を照らしている。その縁側の向こう側にある障子にハクは目を向けた。
「……」
履物を脱いで、音を立てないようにゆっくりと縁側に移動したハクは、膝立ちのまま、そろそろと障子の側までにじり寄った。
(ここまではいいが……)
ハクは、そっと息を吐いてあたりを見回した。屋敷内はしんと静まり返っている。その静けさが少し恐ろしい。ウルゥルとサラァナの姿も、ハクからは見えなくなっていた。
ドクドクと、己の鼓動が聞こえてきそうだった。ハクは、一度己の手を握り締めると、意を決したように障子の引き手に手をかけた。
***
眠りの浅い日が続いている。
オシュトルは布団の中で、何度目かの寝返りを打った。屋敷内はすっかり静まり返っていて、今は己のため息しか聞こえない。ネコネも早いうちに自室に戻り、今は深い眠りの中にいるだろう。
こうやって眠れない日は良くあった。それは、己の中の不安であったり、朝廷での政に関しての気がかりな事があったり、様々である。殊に、今は隣国のウズールッシャが不穏な動きをしているという報せもあり、朝廷内は俄かに緊張状態にあった。
長年、戦により版図を広げてきたヤマト國である。戦への備えは万全ではあるが、戦になると戦場となった町や村が荒れるのは必至。そこで暮らしている民の生活が一変してしまう事を思うと、心が痛んだ。
(父上、某に力を)
今は亡き父の背中を、ずっと追い続けてきた。故郷エンナカムイを、そしてヤマトの民を護る為にこの仮面の力はあるのだ。オシュトルは枕元に置いてある仮面に視線を向ける。庭からの淡い月の光を受けて、夜の帳の中でもその白い輪郭が浮き立っていた。
そんな時、オシュトルは庭の方から何者かが動く気配を感じた。獣の類ではない、石を踏む小さな足音。
――賊か?
オシュトルはそっと布団から抜け出し、刀掛台に収めてある己の刀の鞘に手を添えた。もし賊だとすれば、こんな何も無い屋敷によく入る気になったものだと感心する。自慢ではないが、装飾物など何もない屋敷なのだ。金になるものとすれば、今手の中にあるこの刀くらいなものだろうか。
息を殺して、オシュトルは庭へと続く障子を見つめていた。だんだんと、人の影が障子紙に投影される。背中を丸めて、ゆっくりと部屋に近づいてくる。その動きはどう見ても盗賊のそれではない。オシュトルは、刀を台に置いたままその影を見つめた。
「誰か、居るのか」
障子の向こう側で、息を詰まらせる気配があった。驚いて顔を上げたのか、その輪郭が障子越しに映っている。髪を後ろでひとまとめにした髪型に、ぴょんと一房だけ頭の上に飛び出た前髪。その特徴的な形を見紛うことは無い。
オシュトルは、刀から手を離して立ち上がった。廊下の前で動かないその人影の前へ。
(あの者がここにいる訳がない)
そう思いつつも、この影が『あの者』である事を確信していた。
「……ハク?」
ゆっくりと障子を開けると、そこには、寝巻きに外套を羽織ったハクの姿があった。
「こ、こんばんはー……」
悪戯が見つかった子供のような引きつった笑みで、彼はそう言った。その顔を暫しじっと見つめる。
(これは夢か?)
そう思わずには居られなかった。それほど、彼の出現は唐突だった。
無言のまま見つめているオシュトルに、ハクは不安そうに腰を引く。
「悪い、こんな時間に。……もう帰る」
「待て」
ハクの言葉に、オシュトルは我に返った。素早く廊下の左右と庭に目を走らせると、ハクの肩を掴んで己の部屋に引き込む。オシュトルは音を立てないようにピタリと障子を閉めると、所在無く佇んでいるハクを改めて見つめた。
「このような時間に、何故其方が居るのか、聞いても良いか?」
近くの部屋で寝ている者たちに気取られないように、できるだけ小さな声でそう言った。
「まさか、塀を乗り越えてきたわけではあるまい」
「ノスリたちじゃあるまいし、そんな芸当自分にはできないよ」
確かに、マロロ並みに体力の無いハクの事を考えると、どう考えても無理だろう。ハクは逡巡した後、
「あの双子が連れてきてくれたんだ」
と言った。
双子という言葉に思い当たるのは、彼らしかいない。
「『鎖の巫』のお二人が?」
それは、想像もしていなかった。
「何ゆえ、其方をこんな真夜中に寄越したのか。そのお二人は何処へ行かれたのだ?」
すると、ハクは口を小さく尖らせる。
「それは、まぁ……色々あってだな」
その彼の顔が、月の明かりでも分かるくらいに、みるみる紅潮していく。
「お、お前最近忙しそうだったからな、元気にやってるかと思って……」
言葉尻を濁しながら、ハクは言った。
「……気になってる的な事言ったら、なんか連れて来てくれた」
(これは……)
オシュトルは、目の前の男の事を今にも抱き寄せたい衝動に駆られた。いつもは受け身だった彼が、己の事を気にして、自らの意思で訪ねてきてくれたのだ。およそ一人前の男に言う言葉では無いが、健気ではないか。
「そうであったか」
逸る心を押さえつつ、今にも逃げ出しかねない恋人を安心させるように微笑んだ。
「そういや、戸を開ける前になんで自分だってわかったんだ?」
「某の勘だ」
実は、障子に影が映っていたとは言わず、オシュトルはそう言った。
「この向こうに居るのが、ハクであれば良いと思っていた所に、其方が来た」
「ウソつけ」
眉を寄せつつ、ハクが言う。
「……ホントにそう思ってたんなら、今度から疑ったほうがいいぞ」
もしかしたら刺客かもしれねーだろ。と、ハクは付け加えた。
「そうだな、気をつけよう」
ハクの言葉に素直にそう返すと、彼は珍しいものを見るようにこちらを見上げた。
「どうした?」
「何か、変な感じだな。素顔のオシュトルがそんな話し方してると」
先程まで布団の中に居たせいで、仮面はつけていない。確かに、彼と素顔で会話する時はウコンである時が殆どであった事を思い出す。その方が気安いのは確かだが、今はハクへの衝動を理性的に抑えているせいもあって、とてもではないがウコンになることは出来なかった。
「……おかしいか?」
「そうじゃないけど、なんか変な感じだな」
そう言ってハクはふにゃりと笑う。その笑顔に、オシュトルの理性は荒れた海の上に浮かぶ小舟のように不安定に揺さぶられた。
己の中に、それほど激しい波があるとは思わなかった。
オシュトルが心の中で葛藤していると、ハクは視線を外して頬を掻きながら、
「元気そうなのがわかったから、そろそろ帰る」
と言った。思わず、彼の手を掴んでいた。
「な、何?」
「行くな、ハク」
今の己は、一体どんな顔をしているのだろう。驚いたように顔を上げたハクの瞳は、どこか不安げに揺れている。まるで、今から告げられる言葉を恐れているかのように。反して、彼はオシュトルの手を振りほどこうとはしなかった。
「でも、あいつらが待ってるし……」
言い訳のように、小さな声でそう言った。そう言えば、己が手を離すと思っているのだろう。
しかし、今のオシュトルは、そんな言葉で諦めるような気分ではなかった。この手を離してしまえば、次がいつになるかわからないのだ。
「行くな、ハク」
オシュトルは、もう一度言った。ハクの手を引いて、己の懐に引き寄せる。腕の中で、ハクが身じろぎした。
「だけどお前、忙しいのに……」
「其れと此れとは話が違う」
首筋に鼻先を寄せると、ほんのりと汗の匂いがする。情欲を掻き立てられるその匂いに、ハクの腰を己へと引き寄せた。
「某のわがままを聞いてはくれぬか」
彼の耳元で囁いた。腕の中で体を強張らせていたハクは、おずおずと顔を上げる。
「お前が、いいって言うなら……」
ハクがそう言い終わる前に、オシュトルはその唇を塞いでいた。月の光が差し込む薄闇の中、静かに唇を合わせる。抵抗されるかと思っていたが、屋敷の者に気遣っているのか、ハクはきつく目を閉じ、オシュトルの舌を受け入れていた。
絡み合う舌が、熱を帯びてゆく。
次第に、ハクの緊張していた体が緩みはじめるのをオシュトルは感じていた。口付けの最中、オシュトルはハクが風除けに羽織ってきていた外套の留め具をはずして、床に落とす。彼の薄い肩を胸に抱き寄せ、口付けを深くした。
「……ん」
鼻に掛かる甘い声が、ハクから漏れる。堪えるようにオシュトルの袂の袖をきつく掴んでいたハクが、薄く目を開けた。欲情の色を滲ませた瞳が、何かを訴えるようにオシュトルへと向けられる。
オシュトルは唇を離すと、目の前の恋人の濡れた口元を指で拭った。
「ハク、其方の総てが欲しい」
――心も、身体も、総て。
ハクは、一瞬我に返ったように目をしばたかせると、顔を真っ赤に染めて俯いた。
「……とっくにお前のモンだろ?」
「そうであったのか?」
それは僥倖。
オシュトルはハクに笑みを向けると、彼の腰を抱いて己のぬくもりが残る布団へと導いた。
***
「主さま、戻ってこない」
「オシュトルさまと、熱い一夜をお過ごしになるのかしら」
自分たちが作り出した空間の中で、ウルゥルとサラァナはペタンと地面に座り、主の帰りを待っていた。いつもの彼女達ならば、その中に加わる事もやぶさかではなかっただろうが、障子の向こうから凄まじいほどの殺気を感じた気がして、二人はこうして大人しく待っているのであった。
しかし、ずっとこの空間を作っているのにも限界がある。
その時、ウルゥルが欠伸をした。つられてサラァナも欠伸をひとつ。
「一度、帰る」
「また、朝に迎えに来れば大丈夫だよね」
二人はお互いを見て頷くと、手を取り合って白楼閣へと戻っていった。
***
夢を見た。
オシュトルはまだ小さく、ネコネが幼子だった頃の事だ。
父が戦の為に出陣する日、オシュトルは、大きな父の背中をじっと見上げていた。
――行かないでっ。
そう叫びだしたい気持ちを抑えて、オシュトルは無言で戦地へと赴く父を見送った。――その父は、再び己の足でエンナカムイの土を踏む事はなかった。
(あの時、父上に行くなと言っていれば、父上は死なずに済んだのだろうか)
父が死ぬなんて、その時は思いもよらなかった。いつものように、戦から帰ってくると思っていたのに……。
その一言で、何が変わるわけでもないとは分かっていたが、苦い思いが、今もオシュトルの胸の奥には残っている。そんな子供の頃の己を救ってくれたのはネコネだった。この両手に民の命を預かるには重過ぎる。せめて、この腕の中に眠る妹の命は必ず守り抜くと。
オシュトルは、腕の中の温もりを離すまいと抱き締めた。
「くッ……くるしいっ」
バシバシと背中を叩かれて、オシュトルは目を開けた。腕の中には、何故かネコネではなく、ハクがいた。
(そうか……あの後、微睡んでしまっていたのか)
ハクとの情交を思い出し、彼を抱いていた腕を緩めると、ゴホゴホとハクが咳き込んだ。
「ったく、バカ力なんだから、ちょっとは加減しろよ」
「そんなに力を入れたつもりはないが」
「お前らの『ちょっと』は、自分にとっては『死ぬ程』と同類だな」
冗談なのか、真剣に言っているのかわからない愚痴を零したハクは、体をくるりと反転させた。どうやら、眠りを妨げられて不機嫌らしい。オシュトルは、彼の背中にピタリと己の胸を押し当てる。ハクには尻尾が無いので、背後から抱くのに障りはなかった。
背後からまわした腕で、ハクの太ももを撫でる。筋肉のあまりついていない、すらりとした感触だ。
「ちょ、さわんなよ」
「そう言うな。減るものでもないだろう」
「自分はまだ寝てたいんだ。そもそも、なんでお前が自分の布団に……」
ハクは、そう言いかけてあたりを見回した。そして、勢い良く体を起こすと、
「いっ、今何時だッ」
青ざめた表情で、しかし小声でそう叫んだ。どうやら、寝ぼけていたらしい。
「まだ、明け方には早いくらいではないか?」
オシュトルは布団から抜け出すと、部屋の小窓を開けて外を見た。月は既に姿を消していたが、空はまだ白み始めてはいない。
「帰らないと……」
ハクは慌てて下着と寝巻きを着込んでいる。オシュトルは障子の側に落ちている彼の外套を手に、布団に戻った。
「忘れ物だ」
「ああ、ありが……」
オシュトルから外套を受け取ったハクは、オシュトルの体に視線を走らせて、慌てて顔を逸らした。
「おいっ、下着くらい着けろよ」
「何、別に恥ずかしがることはなかろう?」
どうせ、先ほど嫌という程見たのだから。
「そういう問題じゃないっての」
ハクは床で丸まっているオシュトルの寝巻きを掴むと、押し付けてきた。
「……こんなとこ、誰かに見られたら困る」
「それは、ハク殿にとって、某との関係が恥になるということか?」
「逆だろ、普通」
ハクは、オシュトルの胸を拳で突いた。
「お前の立場的に、自分との関係が知られるのがマズいって言ってるんだ」
「某は、其方との関係を誰に知られても構わないが」
「やめろよ、……お前の重荷になんてなりたくない」
「……」
それは、以前にオウギに問いかけられた言葉と同じだった。
――あの方、貴方の弱みになりはしませんか?
「重荷ではない。其方は某の希望だ」
「きぼう?」
「其方が居るから、某は前へと進む事ができる。例え誰に知られたとしても、重荷になどなりはせぬよ」
オシュトルの言葉に、ハクはようやく目を上げた。そして、困ったように眉を寄せると、
「そんな恰好で言われても、なんか説得力ないんだけど」
裸のままのオシュトルを見て、クスリと笑った。
***
「じゃあ、自分はそろそろ帰る」
「ああ。気をつけて」
随分と長居してしまったような気がする。ハクは音を立てないようにゆっくりと障子を開けた。廊下を見回して辺りに人が居ないのを確認すると、そっと庭先に出た。脱いだままになっていた履物を縁側の下から引っ張り出す。
「おーい、お前たち~。帰るぞ~」
庭の、降りてきたであろう辺りに小さく声を掛けた。しかし、返事はない。
「……おーい。ウルゥル、サラァナ。寝てるのか?」
しーん。
「どうした?」
ハクの様子を見守っていたオシュトルが、気遣わしげにこちらを見つめている。きっと頭がおかしくなったのかと思われているに違いない。
「いや、ここで待ってるってあいつらが言ったんだ」
「戻ってくるのが遅すぎて、先に帰ったのではないか?」
そんな気がする。
案内人は、最後まで家に送り届けるのが義務ってもんだろ、普通。
「どうしよう?」
「そうだな……」
オシュトルは言いかけた口を閉じて、手振りで何処かへ隠れるように指示してきた。しかし、この庭には隠れられそうな所が何も無い。仕方なく縁側の下に身を潜り込ませると同時に、廊下を踏む音が、頭上から微かに聞こえてきた。
「兄さま?」
「ああ、ネコネか。まだ起きるには早いのではないか?」
どうやらネコネが起きてきたらしい。どうか、見つかりませんようにと心の中で願う。
「手洗いから戻ろうとしたら、兄さまの声が聞こえたような気がしたのです」
「そうか。少し風に当たっていたのだ」
動揺する様子もなく、オシュトルはそう言った。なんというか、その面の皮の厚さは見習いたい。
「他に誰かの声が聞こえたような気がしたのですが」
ギクリ。
「いや? 某一人だけだが。風の音が声に聞こえたのではないか?」
「そうでしたか。それでは、兄さまおやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
小さな足音が、遠ざかっていく。ハクは、詰めていた息をゆっくりと吐き出した。そろそろと床下から抜け出すと、オシュトルは思案するように眉を寄せて腕を組んでいた。
「オシュトル?」
「……仕方ねェ。久々にコイツを使うか」
オシュトルはそう言うと、ぐしゃぐしゃと髪を乱して後ろ髪を縛り直す。寝巻きの上からハクと同じように水色の羽織を着込んだオシュトル――ウコンは、ニヤリとハクに笑いかけた。
「俺が送り届けてやるよ」
「な、ナニ言ってんだ」
思わず声を上げたハクに、ウコンは静かにするようにと指を口元に当てる。彼はハクの側に寄ってくると、声を落としてそっと耳打ちした。
「俺は今から厩舎に行ってウマを連れて来る。その間アンちゃんは、その塀の向こうで待っててくれねぇか?」
「むっ、無理」
どう見ても、手を上げたよりも背の高い塀だ。一人ではどうやっても上れないだろう。考える間もなくそう答えたハクにウコンは苦笑すると、彼の視線の先にそびえる大きな樹を指差した。
「あの樹まで上げてやるから、それを使って塀を越えるんだ」
ウコンの肩を借りて樹によじ登ったハクは、枝が折れないように祈りつつ、塀の上にたどり着いた。ウコンを待つ間、塀の上からあたりを見回した。
この辺りは、町民の小さな家ではなく、大きな家が目立つ。やはりオシュトルのような地位の高い者たちが暮らしているのだろうか。ハクが宿泊する白楼閣とは逆の方角を見ると、帝の住む聖廟が普段見るよりも近くに見えた。その聖廟の向こう側から、空がだんだんと白み始めてきていた。
結局、一夜を共にというには短い時間だったが、オシュトルと同じ布団で眠ってしまった。
所々記憶が飛んでいる部分もあるが、その時の事を思い出し、ハクは手で顔を覆った。まだまだ、慣れるには経験が必要だ。
「ハク」
塀の下から声が掛かる。見ると、ウコンがウマに乗ってこちらを見上げていた。覚束ない手つきで塀に手をかけて地面に降りると、ウコンの前に乗るようにと指示される。
「大丈夫か? 二人も乗って」
「お前さんは軽いから、大丈夫だろう」
言われるままにハクがウマの背に乗ると、背後からウコンの手が伸びてくる。ウマの手綱を握ると、彼は歯を見せて笑った。
「振り落とされねぇように、しっかりと捕まっておくんだぜ」
「ひぃっ」
ガクンとウマの背中が上下する。ハクはウマの首に腕を回し、振り落とされないようにしがみついた。今のハクに、この振動は少し辛い。
(し、尻がっ……)
下から突き上げられるような振動に、ハクは涙目になりながらじっと耐え忍んでいた。
「大丈夫かい?」
ハクの苦痛を知ってか知らずか、ウコンがハクの耳元でそう言った。
「うぐ…っ、は、白楼閣はまだかっ」
「もうすぐだって。何なら急ぐか」
「いやっ、ゆっくりでお願いします」
これ以上の振動は自殺行為だ。
幸いにもそれほど距離はなかったので、ハクの尻は無事に済んだ。白楼閣の少し手前で降りたハクは、ウコンを振り返った。
「手間かけさせて、悪かったな」
「いや、楽しいひと時だったぜ」
人気の無い大通り。ウコンに引き寄せられ、ハクは掠めるだけの接吻を交わす。
「これから、いつ会えるかわからんからな。ハクに会えてよかった」
「やっぱり、戦が……」
「いや、戦といっても、オシュトルが出陣《で》るとは限らんがな」
そう言って、ウコンは背後を振り返った。朝日が聖廟越しに見え隠れしている。差し込む光を遮るように手を翳したウコンは、再びハクを見つめた。
「もし出陣る時、アンちゃんなら、あいつに何て言うんだい?」
ウコンは、まるで他人事のようにそう尋ねてくる。戦に出陣するとき、何か声を掛けて欲しいということなのだろうか。腕を組んで思案してみたが、戦というものがあまりピンとこない。
「さぁ、わからん」
「ハハっ、そうかい」
気を悪くするかと思っていたのだが、ウコンは笑っただけだった。「アンちゃんは、それでいいと思うぜ」
「そうか」
そうなのか? ホントに?
「じゃあな、アンちゃん」
「ああ。ありがとう、ウコン」
礼を述べたハクに手を振ったウコンは、颯爽とウマを駆り走り去ってゆく。きっとネコネに見つからないように部屋に戻り、寝たフリをするのだろう。
「さて、と」
問題は、この後である。
ハクは白楼閣の入り口を避け、庭から回り込むことにした。オシュトル邸とは違い、こちらには色んな植物が植えてあるので、頑張ればなんとか隠れて部屋までたどり着く事ができるだろう。
ハクは、大きく深呼吸すると、緑生い茂る庭へと足を踏み入れた。
ビクビクしながら庭を抜け、なんとか誰にも見つかることなく部屋に戻ってくる事が出来た。廊下に誰もいない事を樹の間から確認すると、そっと履物を脱いで部屋の戸を開けた。
「やっぱり……」
部屋に敷かれた布団が、こんもりと盛り上がっている。予想していた展開に、ハクはため息をつきつつ掛け布団をはがした。
「こら、お前たちっ」
よくも、自分を置いて先に帰ったな――。
そう言いかけた口を閉ざす。ウルゥルとサラァナは、向かい合わせに眠っていた。しかし、彼女たちの間には、丸めた布団が一本、まるでハクが寝ているかのように置かれていた。
(もしかして、自分が出かけたのがバレないように細工してくれてたのか)
この状態で掛け布団を掛けておけば、パッと見た感じではハクがいない事に気づかれないだろう。
丸めた布団の上で手を握り合っている二人を見て、ハクはポツリと零す。
「ありがとな、お前たち」
オシュトルに合わせてくれて。
すると、ハクの気配に気づいたのか、ウルゥルが目を開けてこちらを見た。
「主さま、おかえり」
ウルゥルの声で、サラァナも起きたようだった。眠たげな目を擦りながら、起き上がり三つ指をついた。
「お帰りなさいませ、主さま。お迎えに行けず申し訳ありません」
「眠かった」
「すっかり眠ってしまっていたのです」
「あ、ああ……まぁ、寝てたなら仕方ないな」
彼女たちの呑気な様を見て、すっかり毒気を抜かれてしまったハクは、そう言うのが精一杯だった。
「それで……」
サラァナは姿勢を正すと、布団の側で棒立ちになっているハクを見上げた。
「オシュトルさまとの逢瀬はいかがでしたか?」
「は?」
ウルゥルも同じようにハクの前に座ると、じっと見上げてきた。
「今後の奉仕に取り入れたい」
「はぁぁ?」
ハクは今にもにじり寄ってきそうな二人に思わず後ずさると、障子を開けて廊下へ飛び出した。
「自分はそんなもの、望んでないからなっ。普通にしててくれるのが一番なんだっ」
「普通に」
「主さまは、正常位がお好みですか? オシュトルさまともそのように?」
「そっ、そういう意味じゃなくて、だなぁ!」
聞いてる己の方が恥ずかしくなってくる。ハクは顔を手で覆いながら、首を振る。
「こんなこと、他のやつらに知られたら……」
「知られたら、どうなるのかな?」
「☆□○×ッ!?」
心臓が止まりそうな勢いに、ハクは飛び上がると、廊下の端まで疾走してうずくまった。ハクの部屋の前に立っていたクオンは、部屋の中にいる双子を見てため息をついた。
「貴女たち、自分たちの部屋があるのだから、ハクの部屋に忍び込むのは良くないよ。いつあのケダモノに襲われるかわからないでしょ?」
「誰がケダモノだ」
クオンに聞こえないように悪態をついたはずだったのだが、ギロリと睨み返され、ハクは縮み上がった。
「さ、戻るんだよ」
有無を言わさぬクオンの声音に、双子たちも観念したのか、廊下に出てくるとハクに一礼して出て行った。騒々しいのがいなくなって、少しほっとした。
しかし、
「ハク」
「は、はいッ」
問題が目の前に残っていた。
「私に隠れて、何コソコソしてるのかな?」
「なっ、何もしておりませんが……」
もしかして、先刻の彼女たちとの会話を聞かれていたのだろうか。内心ビクビクしながら、ハクは答えた。
「先刻まで、何処かへ行っていたようだし」
何故バレた。
すると、クオンはハクの前に立つと、頭の上から何かをつまみ上げた。庭の樹の葉っぱだ。帰ってくる途中で着けて来てしまったのだろう。
「……スマン。ちょっと、オシュトルに用があって」
これは、嘘ではない。内容まではさすがには明かせないが。
素直に白状したハクに、クオンは尻尾を揺らめかせながら、ため息をついた。あの尻尾がいつ己の頭に巻きつくのか、ハクは気が気ではなかった。
「私はハクの保護者なんだから、ちゃんと私にだけは何処へ出かけるかくらい、言っておいてくれないと困るかな」
「いや、これには色々あってな」
まさか、「想い人に突然会いたくなったから、会いに行ってくる」とか言えるわけがない。
「わかった?」
「……善処します」
クオンの尻尾が目の前に迫ってきて、ハクは慌ててそう言った。下ろされた尻尾に胸をなでおろしつつ、ハクは立ち上がってクオンを見下ろした。
己は、クオンに助けられなければ、今ここにはいなかっただろう。白楼閣にいる仲間は今や家族のようなものだが、その中でも一番近しいのは、彼女だった。そんな彼女くらいには、己の今の状況を告白しておくべきだろうか。
「あのな、クオン」
「何かな?」
「じ、自分は……」
「……」
「自分は、オシュトルと……」
「オシュトルと?」
――恋人になったんだ。
(なんて言えるわけねーだろッ)
ハクは、心の中で一人ツッコミをした。そもそもここで言えていたら、今までコソコソとしていない。
「ハク?」
「あー、うん。オシュトルとは酒呑み友達だから、夜に出かける事もあるってことを言いたくてな」
「わかってる。けど、あまり遅くまではだめだからね」
「ハイ」
すまん、クオン。
心の中で、彼女に詫びる。本当のことを切り出せない己のことを。もう少し己に自身がついたら、ちゃんと話せる日が来るだろう。
彼女は、大切な『家族』なのだから。