心地のいい場所【オウギ視点】

※オウギ視点のオシュ(ウコ)ハク。「心地のいい場所」の時間軸で展開します。


「護衛、ですか?」

 

 あらかじめ呼び出しの連絡を受けていたオウギは、太陽が天辺から少し傾きかけた頃、人知れず右近衛大将の執務室に姿を見せた。

 人払いをしてあるのか、執務室付近の廊下には人の気配は感じられなかった。オウギとしては、その方が都合がいい。この場所に出入りしているのを知っているのは、ごく僅かに限られていたからだ。

 そんなオウギが執務室で聞いた内容は、意外なものだった。

 

――ある男の尾行をして欲しい、と。

 

「そうだ。お主も知っている男が、この後此方に来る手はずになっていてな」

 

 文机に巻き紙を広げ、それへ筆を走らせながら、目の前の男はそう言った。

 

「私が知っている?」

「そうだ。以前、クジュウリから帝都へ向かう途中の盗賊騒ぎで、お主は一度その男に会っている」

 

 一筆書き上げた男は、筆を置き顔を上げた。顔の上半分を仮面で隠した男は、この帝都を守る柱の一本なのだ。

(右近衛大将オシュトル)

 仮面の奥から、オシュトルはオウギをじっと観察している。普通の部下達なら畏まってその言葉を聞くのであろうが、オウギとオシュトルはそういった関係ではなかった。オウギは口元に浮かべた笑みを崩すことなく、オシュトルを見つめ返した。

 

「もしや、あの不思議な御仁でしょうか」

 

 オウギはどこかやる気の無さそうな表情で、自分達を見ていた男の事を思い出していた。

 

「そうだ。名をハクと言う。今は某の隠密をしている」

「ハクさん、ですか」

「その男に花町の調査を依頼するところなのだが、少々体力面で不安のある男なのだ。そこで、そなたにはハクに身の危険がないように隠れて尾行してもらいたい」

「それでしたら、私がその花町へ出向けば良いのではないでしょうか」

 

 そんな回りくどいことをしなくても、自分であれば怪しい人物につけ回される事になっても、上手く逃げ切れる自信があった。

 オウギの申し出に、オシュトルは否と首を振った。

 

「そなたでは、花町に出入りするには少々若すぎる。まだ顔が知られていない彼の方が、役回りとしては適任だと某は考えている」

「そうですか。貴方がそう仰るのなら、私はこれ以上は何も申しません」

「うむ。頼めるだろうか」

「それで、その方の護衛の報酬はどういったものなのでしょうか?」

 

 利がなければ、オウギとしても受ける事は出来ない。利害が一致している時だけ動く、オシュトルとは現時点ではそういう関係だった。オシュトルは、手元に積み上げられた書簡の中からあらかじめ用意してあった一つを手に取っ手広げた。

 

「先日、民から突然窓が破壊され、金が投げ込まれたという訴えがあった」

「……」

 

 知らぬと言いたいところだが、残念ながら記憶に新しい。

 

「そなたの姉が義賊の行いをした際に、民家を破壊した咎を不問にいたす」

「そうですか。わかりました」

 

 ここにノスリが居れば「民のため、義を行ったのだ。何故咎などど言われなければならんのだ!」と反論するに違いない。そんな姉の暴走を止めるためにも、こういった依頼の場には彼女を同席させることはなかった。

 

「それと、今回の依頼はお主一人で行ってもらいたい」

「何故でしょうか」

「花町に彼女を連れていくつもりか? 今回はハクにも一人で動いてもらっているのだ。女人には少々刺激が強かろう」

 

 オシュトルの言葉から、何か思惑があるようにオウギは感じたが、それ以上は反論することなく頷いた。余計な私情は挟まない、というのが隠密を行う上での鉄則だ。

 

 程なくして、ハクの来訪を下働きの者が伝えに来た。オシュトルの視線にオウギは頷くと、執務室から素早く姿を隠す。オウギが屋根裏に潜むのと、ハクが部屋に入ってくるのはほぼ同時だった。

 少し背を丸めて入ってきたハクの姿を、オウギは屋根裏の板の隙間から眺めた。

 ぼうっとしたような声。しかし、彼の言動の中には、鋭さも感じられる。オウギは何処か掴み所のない男だと思った。彼とオシュトルの話の内容は、『花町で出回っている危険な媚薬の調査』ということだった。

 最初は無理だと言っていたハクも、最後は金に心を動かされ、調査に了承する形になった。この後すぐに花町へ向かうと告げたハクは、よっこいせと呟きながら立ち上がった。

 そんなハクの後姿を見送ったオシュトルは、障子が閉まると同時に天井裏に潜んでいたオウギへと、声を掛けた。

 

「それでは、よろしく頼む」

 

 その言葉に、オウギは声もなく屋外へと向かう。天井の軋む音が彼への返答だった。

 

 

***

 

 花町へ向かうハクを、オウギは人目のつかない屋根の上から見守っていた。男茶屋の並ぶ界隈を、彼はホタホタと歩く。これからどうするか悩んでいるような足取りだった。

 暫くそんな状況が続いたが、意を決したように、ハクは近くの茶屋に足を踏み入れた。

(さて、どうなることやら)

 オウギ自身は、特に思い入れのある男ではないが、何故かオシュトルにとっては大事な男らしい、ということくらいはわかっていた。そうでなければ、自分に護衛の任務など与えはしないだろう。

 屋根から店と店の間にある細い路地に移動したオウギは、ハクが入っていった店の入り口を見た。半分くらい暖簾に隠れているためよく見えなかったが、店先に立つハクの足元だけは確認することができた。

 彼と、店の人物が何を話しているのかはわからない。しかし、ハクの足元は今にも逃げ出さんばかりに、後ずさりしていた。

 そんな彼の姿を目の端に留めつつ、花町を行き交う人の姿を眺めていると、ふと見覚えのあるような姿が目に入ってきた。

(何をしているんだ、あの人は)

 オウギは目を細める。いつもの水色の羽織の上に外套を重ね着し、頭巾を被っている。そして、襟巻きで口元を隠すという念の入れようだった。

 一目見ただけでは、それがウコンだと気づくのは難しいだろう。しかし、オウギは気づいてしまった。

 ウコンは早足で花町の中をこちらの方向へ歩いてくる。誰かを探しているのか、素早く店の入り口に目を走らせながら。普段の姿が目を引くのはわかりきっていることだが、今の姿も逆の意味で目を引く。オウギは仕方なく、路地の間から体を覗かせ自分の存在をウコンに知らせた。程なくして、ウコンがその路地へと入ってきた。

 

「おう、済まねェな」

 

 外套の頭巾を外しながら、ウコンがニカリと笑った。悪びれる様子のないその姿に、オウギは呆れたような視線を向ける。

 

「護衛の役は私に任せたのではなかったのですか?」

「いや、ちょいと用事があったんだが、思いの外早く終わったから、どうなってるか見に来たのサ」

「本当に、それだけですか?」

 

 オウギの言葉に、ウコンは意外だと言わんばかりに眉を上げた。

 

「どういうことだい?」

「頼り無さそうな誰かさんの事が心配で、仕事が手につかなかった……だから来た、とかでは?」

「……」

 

 ウコンはバツが悪そうに頭を掻くと、路地の隙間から見える店へと視線を向けた。その先にいるであろう彼の事を見ているのは明らかだった。

 

「アイツが仕事をちゃんとするってことは間違いねェんだ。俺が心配してるのは、その事じゃぁねェんだよ」

「へぇ。それは何なんです?」

「まぁ、変な虫がつかないか。だな」

 

 変な虫?

 オウギは眉をひそめた。こんな場所でつく虫といえば、花町の男達ということだろうか。

 

「出てきたぜ」

 

 そんなことを考えていると、ウコンがハクの姿を見つけて小声で呼んだ。ハクは、どこか疲れ果てたような表情をしていた。ウコンはじっとその姿を店の陰から見つめている。その前を行商人らしき風体の男が横切った。ハクはハッと顔をあげてその男の入っていった店の前へと移動する。そして、その男が出てくるまで、じっと中の様子を伺っていた。

 

「あれが、例の薬の出所でしょうか?」

「それはまだわからねェな。ただ、何か関係があると踏んでるんだろう」

 

 二人でその様子を見守っていると、ハクが慌てたようにその店を離れた。行商人風の男が出ていくと、ハクはその男の後を追う。

 

「私は、ハクさんを追いますが、貴方はどうするのですか?」

「そうだねぇ。アイツに見つからねぇように、戻るとするか」

 

 特に揉め事も起こらなかった事に安心したのか、ウコンはそう言って頭巾を被ろうとした。その目の端に不審な男の姿を見つけ、ウコンはその手を止めた。

 目の鋭い、荒くれものの風体をした男だ。路地から顔を出すと、男が明らかにハクを尾行しているのがわかった。

 尾行する男の後ろには、また尾行。面白い構図だ。

 

「オウギ。お前はあの行商人の後をつけてくれねぇかい? もしアイツが目的の男だとしたら、どこか根城があるはずだ」

 

 ウコンはハクの歩いていく方向を見つめながら、そう言った。

 

「いいですが、ハクさんはどうするのです?」

 

 行商人を追うとなれば、ハクを守る者がいなくなってしまう。元々の依頼はハクの護衛だったではないか。

 

「そっちは俺に任せてくれればいい」

 

 ウコンはそう言って笑った。

 

 

(思えば、あの時から彼らの関係はそういうものだったのかもしれない)

 日が傾きかけた雑木林の中。背の高い木の上で、オウギは思った。

 ウコンのハクに対する気にかけようは、友情をいささか超えているように思えた。あの後、ウコンがハクを上手く捕まえて巻いたということは聞いたが、その時に彼らの間に何があったのかは、オウギは知る由も無い。

 

 オウギが今見下ろしているのは、先ほどまで一騒動あった小さな家屋だった。そこには、ウコンとハクがいる。既にウコンが連れて来た配下達は、荷車に危険な媚薬を流通させていた一味を乗せてこの場を去っていた。

 しかし、彼ら二人が出てくる気配は無かった。

 

 事の始まりは、数刻前に遡る。

 

 先日の色町での出来事の後、薬売りの行商人を見張っていたオウギだったが、媚薬の出所がはっきりとしなかった。オシュトルにその事を報告すると、彼は「そうか」とため息をついた。

 

「だが、顔を見られたハクの事を、奴等が放っておくということは無いだろう。暫くは彼の周辺に気を配っておいてくれないか」

「何かあれば、どうするのです?」

「命の危険がないようだったら、首領のアジトを突き止められるように泳がしておいてくれ。その場で命の危険があるようだったら、救って欲しい」

「わかりました。アジトがわかれば私の配下の者をすぐに寄越す事にします」

「済まないな」

 

 そう言うと、オシュトルは深く息をつき目を閉じた。今まで見た事の無い彼の姿だった。

 

「何か、心配事でも?」

「いや……結局、彼を危険な目に合わせることになるのかと思うと、な」

「隠密として動いているならば、危険な目に遭う事も承知の上なのでは?」

 

 その問いに、オシュトルは自嘲するように口元に笑みを刷いた。

 

「そうだな。その通りだ」

 

 オウギは、オシュトルが何を心配しているのかわからなかった。

 

 

 だが、今はわかる。

 彼は、ハクの事が好きなのだ。だから彼の身を案じての事だったのだろう。

 ハクを助け出す時のウコンの剣さばきは、オシュトルの姿が重なって見えた。実際本人なのだが、ウコンの時以上の覇気を感じたのだ。

 

 ――彼の大事なものに手を出すと、こうなるのか。

 

 それは怖い。と、オウギは姿を隠しながら思った。

 その後は、ウコンの配下の者たちが駆けつけ、大捕り物は一旦の決着がついたのだった。オウギはその一連の処理がなされる間、じっと影に潜んでいた。隠密という形でオシュトルに使われているので、その中に加わる事は出来ない。

 すると、どうだろう。二人きりになったウコンとハクは、親密な様子で接吻やらを始めてしまい、すっかり外に出る時期を逃してしまっていた。その後、二人が別室へと移動した隙に、オウギは息を殺して屋外へ出た。このまま屋根裏に潜んでいる事も可能だったが、それはあまりにも出刃亀というものだろう。

 

 そして、木の上から二人がいるであろう部屋を見つめているのであった。さすがに主達を残して一人岐路に着くというのも変な話だ。しかし、今回の場合は先に帰っていても問題なかったような気がしないでもない。こんな事になるとは思わなかったのだ。

(右近衛大将と、一介の隠密との恋路、か)

 一般市民が知ったら、大層驚く事だろう。殊にオシュトルに関しては、帝からも民からも信任の厚い男なのだ。そんな男が、男と蜜月を過ごしていると知ればどうなることだろうか。

(私が心配する事ではないのかもしれませんが)

 オウギはふと笑う。多少ならずも、自分は動揺しているのだろうか。

 そんな事を考えていると、部屋の中に仄かに火が点るのがわかった。恐らく囲炉裏に火を入れたのだろう。

 さすがに暗くなってきた。そろそろ、二人も出てくる頃だろう。

 オウギは懐から畳んだ提灯を広げると蝋燭に火をつけた。そして、玄関の脇に備え付けられている提灯差しに、持ち手の柄を差し込む。徒歩で帰る二人の道行きには必要なものだろう。

 玄関の扉が開き、二人が出てくる。一瞬ウコンが顔を上げた。こちらに気付いたかはわからなかったが、彼は満ち足りた笑みを浮かべていた。

 

 

 ***

 

「ただいま戻りました」

 

 帝都の外れ、自分たちが潜伏している長屋の部屋の扉を開いたオウギは、敷きっぱなしになっているせんべい布団の上で丸くなっている姉の姿を見つけた。

 

「姉上?」

「ぎぞくたるもの……よわきをたす……つよきを……むにゃ」

 

 寝言らしい。布団もかけずにいつものへそ出しの格好のまま寝ていた。

 

「風邪を引きますよ、姉上」

 

 部屋の端にくちゃくちゃに丸まっている掛け布団を取って来ると、肩まで掛けてやる。すると、うっすらと目を開き、ノスリがこちらを見た。

 

「おうぎ……もどったのか」

「はい。無事に依頼は完了しました」

 

 そう言うと、ノスリはふにゃっと笑みを浮かべる。

 

「そうか、ごくろー」

 

 そう言うと、また目を閉じて寝息を立て始めた。

 その平和そうな顔を見つめ、オウギもまた笑みを浮かべる。その時、ふと先程ウコンと話していた事が思い出された。

 

 

 ――あの方、貴方の弱みになりませんか?

 

 

 ウコンに投げかけた言葉。それを姉にすり替えたとしたら……。

 

「ええ、そうですね」

 

 ウコンとは違い、それは【恋】ではないが。大切な者である事には変わりない。

 大切なものが居るということは弱みでもあり、強みでもある。この人を助けるためには、自分は何にでもなれるのだろう。

 

「おやすみなさい、姉上」

 

 オウギはもう一度姉の寝顔を見つめて、呟いた。